京都へ行ってきました③
仁和寺を出た我々、
きぬかけの路を通って(というか、道なり)龍安寺へ。
このきぬかけの路ですが、
宇多天皇の、夏だけど雪見がしたい、という我が儘風流を叶えるため、
衣笠山をすっぽり白い絹で覆って、雪景色にみせたことが由来とか。
山に続く道が現在のきぬかけの路です。
いや、宇多天皇それでいいのか、
ないものねだりしないで、その折々の季節楽しみなよ、と思った途端、
夏に冷房(冬景色)、冬に暖房(夏景色)を求める自分と何ら変わらないことに気づきました。
さて、龍安寺です。
石庭(案外こじんまり)と
吾唯足知の蹲踞(つくばい)(これもとてもこじんまり)
で有名なお寺ですが、私が見たい襖絵は非公開。
琴棋書画図や昇り龍、下り龍見たかったな。
先ほどwikiで初めて知りましたが,蹲踞レプリカですって。
石庭は人が沢山で、寺には静けさを求める息子の希望で早々に退散。
唯一の龍安寺の写真はこちら↓
西の庭から鏡容池へと流れる小川で、浅い流れと紅葉がとても趣深いです。
最終目的地、金閣寺を目指しながら、道々考えました。
エジソンは必要は発明の母といいましたが、
われただ足るを知るという静かな生き方はあまりにも無欲で清らかで、
現代の社会(意識的であれ無意識であれ競争社会)と接点はあるのだろうかと。
そもそも接点という考えがおかしい。
とりあえず、日常起こる好むこと好ましくないこと、
すべてが成るように成っていると受け入れるということか。
などつれづれ考えているうちに、金閣寺へとなむ着きに ける。。